家を建てるということ
どのようにこの世界に生きていくかという生き様のようなものを勝手に家が表してしまうのだ。
たとえば、窓のまったくないコンクリートの四角いだけの家を建てたとすると、その人は周囲との付き合いを一切拒絶するというメッセージを発していると考えられるし、ハウスメーカーの普通の家を建てた人は大量生産で造られた安かろう悪かろうモノでも疑いなく受け入れる人であろうと考えられる。家の外観からその人の思想性が透けて見えてしまうわけだ。
軽井沢の林の中に家を建てることになるので、自然との調和という点でもよく考えなければならない。調和を乱すような外観の家を建てれば、やはりそこに住む人もそんな人なんだなと思われてしまう。
軽井沢という寒冷地で生活するには暖房や給湯の熱源を考える事も大切だ。灯油は値が上がっていくし、この地は単価の高いプロパンガスだから安易には使えない。電気に頼るのはどうだろう。太陽熱や太陽光などの自然エネルギーは使えないか。もちろん薪ストーブも活用したい。
そして、熱源のエネルギーをどうするかについて考えるということは、これから自分はどのようにしてこの地球の上で生きていくのかを、それらを決定する以前に考えなければならない、ということにも気付かされた。
都会に住んでいたなら、安易にオール電化にするか、電気と都市ガスの組み合わせにするか、くらいしか考えなかったかもしれない。自然に囲まれた軽井沢だからこそ、いろいろ考えさせられたとも言える。
今後はこうしたことについてどう考え、決定していったかについても書いていきたいと思う。
by nekoana1996 | 2008-04-08 21:11 | 家造り